「厳島神社の鳥居は、なぜ海の中にあるのに倒れないの?」
厳島神社が倒れないのは、特殊な構造にあります。
では、どのような仕組みで鳥居は作られているのでしょうか?
ということで今回は、
- 鳥居の構造や倒れない仕組みとは?
- なぜ海の中に、鳥居があるのか?
などの疑問解決策を紹介します!
目次
厳島神社の鳥居の構造や倒れない仕組み
厳島神社の鳥居は、柔らかい砂地の上に立っていて、砂の中に50センチの「松杭」という名前の杭が30~100本も打ち込まれています。
その杭の上に、敷石が重ねてあり、鳥居の足元はこの基礎によりしっかりとした地盤になっています。
鳥居の素材は、楠で作られていて、楠は固くて虫も付きにくく、腐りにくい性質を持っています。
赤い色の塗料は、「光明丹」というもので、防錆や防腐の効果もあります。
このような構造から、鳥居が倒れなくなっています。
厳島神社の鳥居はなぜ海の中にあるの?
厳島は、古来より島全体のご神体として考えられていて、航海の守り神とされてきています。
厳島は、神に斎く島が語源にあり、島全体が信仰の対象でした。
そのため、ご神体の上に建物を建てるのは畏れ多いとされて海に建てられています。
厳島神社の鳥居の文字はなんて書いてあるの?
鳥居に書かれている文字は、沖に向く扁額と本殿にある神社に向く扁額では文字が異なります。
沖側には「厳嶋神社」で、神社側は「伊都岐島神社」とそれぞれ書いてあります。
両方とも、有名な神社ですが、神社側は万葉仮名で書かれています。
この文字を書いた人は、扁額の裏側には明治7年甲戌四月二品熾仁親王謹書と記されています。
扁額は二つとも、有栖川熾仁親王が書いた文字で、親王の染書です。
厳島神社の鳥居はいつ建て替えられたの?
鳥居が建てられた歴史は、以下をご覧下さい。
・1168年(仁安3年)伝承によると平清盛により建立
・1286年(弘安9年)大鳥居が再建
・1372年(応安4年)1325年(正中2年)に台風で大鳥居が転倒したため再建
・1547年(天文16年)大内義隆による建て替え
・1561年(栄禄4年)毛利元就による建て替え
・1801年(享和元年)安芸8代藩主浅野斎賢が大鳥居を再建
・1875年(明治5年)現在の大鳥居が再建
などです。
こうしてみると、なんと6回も鳥居が建て替えられていたのですね。
次に、鳥居の中をくぐる方法を見ていきましょう。
厳島神社の鳥居の中をくぐる方法
厳島神社の鳥居の中をくぐる方法は、満潮時と干潮時を上手く利用すると出来ます。
宮島付近の満潮や干潮の時刻は、一般社団法人宮島観光協会の年間汐潮表で確認が出来ます。
潮位が250センチ以上であれば、大鳥居や厳島神社が海に浮かんで見えます。
潮位が100センチ以下であれば、大鳥居まで歩いて行けます。
宮島に渡るには歩いていく以外に、船で渡る方法もあります。
有限会社宮島遊覧観光では、魯櫂舟と龍頭船の2種類の船が運航しています。
魯櫂舟は、エンジンが付いていなくて、魯と櫂と言われる道具を使って手漕ぎで進みます。
1回20分程度のコースで、運行期間は不定期です。
運行時間開始の目安は、その日の満潮時間の周辺で運行をします。
龍頭船は、夜龍の頭が付いた遊覧船でチャーターも出来ます。
これは、30分程度のコースです。
厳島神社の構造まとめ
- 鳥居の構造は、素材が楠で作られているため、固くて虫も付きにくく腐りにくい性質を持っている!
- 更に、赤い色の塗料は、「光明丹」と言うもので、防錆や防腐の効果もある!
- 鳥居が倒れない仕組みは、砂の中に50センチの松杭が30~100本打ち込まれており、その上に敷石が重ねてあるから強い地盤になる!
- 海の中に鳥居がある理由は、島全体が信仰の対象のため、ご神体の上に建物を建てるのは畏れ多いから!
厳島神社の鳥居の構造は、水に浸かっても腐りにくい材質を使って作られています。
また、厳島神社が海の中にあるのは、島全体が信仰の対象だから海の上に建てられないという決まりがありました。
鳥居に書かれている文字は2つあり、それぞれ別々の人が書いています。
神聖な場所であるため、歩いたり船で渡って一度足を運んでみるのがおすすめです。
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